熱きモノづくり企業の顔

想い溢れる言葉から汲み取れる真摯な姿勢。

常に魅力的な製品づくりに取り組む東大阪ブランド製品製造企業の
モノづくりに対する熱い思いを紹介していきます

三宅工業株式会社

インタビュー:松本代表取締役、福田総括部長
時流を捉えたモノづくりと確固たる技術力を次世代へ継承していく

各種鋼材、及び鋼板の曲げ加工を得意とし、ハンガー(吊り具)の製造においては国内トップシェアを保有する三宅工業(株)の松本代表取締役と福田総括部長からお話を伺いました。

当社の歩み
当社は昭和13年に大阪市の東成区で「三宅溶接所」として溶接業を営んでいました。昭和37年に現在の所在地であるここ東大阪市に移り、近畿エリアを中心に各種鋼材、及び鋼板の「切り」・「曲げ」・「溶接」といった世の中のモノづくりには必要不可欠な部分を全て担ってきました。
東大阪ブランド認定製品であるハンガーシリーズ(クレーン吊り具)は、社会のOA化、FA化の流れを受け、昭和51年3月より開発に乗り出しました。開発には、すでに製造されている従来の製品を我々は一から見直し、設計をし直すことでコストダウンを図っていきました。
販売は、はじめは近隣の工場から。さらに見本市などに出展して徐々に導入実績を重ねてきました。当社の製品は使って頂くとその良さがわかって頂ける製品です。10年程前からは導入実績のある日本企業が海外へ工場を新設する際などにも採用されるようになりました。

もっと知ってほしい
時代の流れと共に工場のFA化が進む一方、まだ多くの工場では溶断品、形鋼にチェーンを付けた自社製の吊り具を使用している例が多く、作業効率や安全性といった面での問題がクリアされていない状態にあります。当社のハンガーシリーズは、それらの問題点を改善する為の製品です。
どなたでも安全に効率よくご使用頂くように設計されています。
当然、品質・使い勝手には絶対の自信を持っています。
製品販売から37年間に納入した1万台のうち、メーカーに起因する問題点はわずか数件にとどまっています。
製品を導入して頂き、取説に基づき点検を行っていただければ、消耗品とは違い10年、20年と長くご使用いただけます。
勿論、そのため導入に際しましては、最適な作業環境をつくる為、個々の企業の状況や課題を的確に把握し、ハンガーシリーズを基本に、アレンジやオーダーメイドにて対応しています。
まだ自社製のクレーンを使用しているお客様に、少しでも早くこのハンガーシリーズの安全性、そして利便性をわかって頂きたいと願っています。

新製品開発
こちらは、より多くのお客様にご利用いただくために従来機種の約半額にて販売している新型のロータリーハンガーです。
小スペースでの作業効率をより追求し、操作も軽く、女性でも開閉しやすくなっています。
倉庫では、現在開発中の製品や既製品の操作性、安全性等の確認を行っています。

モノづくりへのこだわりと姿勢
曲げ加工などベンダー関係については、建築用構造物や装飾金物、オブジェに至るまで、幅広いレパートリーを担っています。手すりや天井材など、「実は、」というところにけっこう当社がつくったものがたくさんありますよ。当社の敷地内にありますこの螺旋階段やルーフも自社でつくったものです。
2008年以降はやはり、リーマンショックの影響を受けたものの、長年培ってきた高い金属曲げ加工の技術力と迅速な納期に対応していくことで、変わらずあらゆるお仕事をさせていただいております。
芸術家の先生からのオブジェの依頼などでは、時々、「できません」と言わせてほしくなるような複雑な依頼をされることもあります。しかし、そんな時でも「やってみましょう」と挑戦に受けて立つような気持で依頼と向き合います。
私たちは地域密着型で仕事をしていますので、対応できるエリアには限りがありますが、我々がお受けできるエリアでの仕事に関しては、どこにも負けない仕事をするつもりです。

若い世代へ技術を繋ぎ、進化し続けるモノづくりへ
近年では、若手の人材育成にも力をいれて取り組んでいます。1人前になるまでには、5年~10年はかかります。長く従事している職人から指導を受け、若い社員もがんばっています。
街中で自分たちがつくった製品を見つけるとやはり嬉しいんでしょうね。やりがいをもって仕事をしてくれています。
2009年からは品質管理部を開設しました。効果は非常に出ており、2008年以前40数件あったクレームが2012年度は4件しか出ていません。
環境への取り組みとしては、リーマンショック以降工場内にデマンド管理を導入し、2011年度電力量を26%削減、2012年度はさらに14%の削減に成功しました。

培ってきた技術力を若い世代へと継承し、今後も時流を捉えた製品開発を行いながら、お客様に満足いただけるモノづくりでこれからもっと成長しつづけていきたいです。

株式会社下西製作所

インタビュー:下西社長、稲村顧問
磁石を通じてお客様の製品価値を創造するモノづくり

東大阪ブランド推進機構の設立から理事長を務めていただき、社業では磁石製品のパイオニアとして製品開発に余念がない㈱下西製作所の下西社長と、稲村顧問からお話を伺いました。

安定した品質のマグネット応用製品を誰よりも先に市場に送り出す
元々私は板金の会社に勤めており、そこで金物の設計をしていました。
結婚を機に、15年間勤めた会社を退社し1968年に下西製作所を創業しました。
創業時は、経営者として右も左もわからない私でしたが、前職の時から活発に動き築いてきた人脈で、多くの方々にたくさん教わり助けられながら、高度成長期という時代もあり、順調に仕事を増やしていくことができました。
会社が軌道に乗り出した頃は、筆箱や家具の留め具として使われるマグネットキャッチを製造し、他社が行っていなかった品質の保証をして販売したところ、市場シェアの60%を占める製品にまで成長しました。この製品は市場が大きくなるにつれ、類似品の参入が激しくなり、特許も取得していなかったためシェアを落としてしまいましたが、この頃から当社では『磁石の百貨店』として看板を掲げ、つくれば売れた時代にあっても、顧客満足を追求し、品質を重視した事業展開をつづけてきました。
この取組姿勢を変わらず維持してきたことが現在の会社の継続につながっているものと考えています。

広がるマグネットのノウハウ
当社の製品は、OA機器や家庭電器機器、機械、工具、自動車や玩具、教材に至るまで産業界のあらゆるところで採用されています。
当社は磁石の素材開発ではなく、磁石を応用した製品づくりを行う会社ですが、磁気理論を応用し、難しいとされる加工や製品化に先駆的に取り組んできました。また、明確な企業理念に基づいて従業員の資質を高めたり、技術開発に必要な企業体制の強化を図ってきました。近年ではそのような姿勢が評価され、平成21年に文部科学大臣表彰において技術部門で科学技術省を授与しました。
また、大手磁石メーカーの研究員が顧問として会社に来てくれることにつながり、自社が蓄積してきたノウハウに加えて、磁石に関するあらゆる知識と新しいノウハウをさらに積み増すことが出来ています。
このことがお客様から持ち込まれる様々なニーズに応える製品をスピーディーに提供できることにつながってきています。磁石製品の製造設備を有するメーカーとして、他社が敬遠する仕事でも、培った技術を横展開することで、求められるニーズへのきめ細かな対応に努めています。

磁気をコントロールする先駆者としての使命
磁力応用製品を開発している当社にとって、磁気をコントロールする製品展開が出来たときは企業冥利に尽きます。
当社では、磁場の解析ができる装置を5年ほど前から複数台導入しており、磁場解析に基づいて当社の技術を駆使して誕生した製品は、医療現場でも採用されてきています。近年では、新しい磁石大手メーカーから開発される磁石素材の性能も高まってきていることで、応用製品の横展開の幅も広がっています。
一般的に磁石は金属を加工する際に磁気を帯びるため、磁石を応用した製品の活用を敬遠する方もいらっしゃいます。しかし、必要に応じて脱磁することが可能ですし、今までは不可能だと考えられていた領域でも、お客様のニーズを磁石で解決していくことが可能になってきているため、今後は益々活躍の幅が広がる領域と考えています。
磁気製品についての信用度や理解がまだまだ低いのが現状ですが、当社は磁気製品分野の先駆者として、この現状を打破するためにも“磁石の力”をさまざまな製品に変えて、その多様性を啓蒙していくことが使命だと感じています。

磁石を通じてお客様の製品価値を創造するモノづくり
製品の値段は『価値』によって決まるものです。ということは、我々のような磁石応用製品を提供している企業は、価値を売っていかなければなりません。
同じ値段を提示しても、安いと感じる人がいて、一方で高いと感じる人もいます。
他社が安く売っているから勝ち目はないというのではなく、高いと感じる人の想いやニーズをより深く理解し、製品展開をしていくことにより真の顧客満足度を得る事ができ、結果としてものが売れるはずです。
特にモノをつくる前段階で、どのような製品を提供していくかというコンセプトを明確に定めておくことが重要になってきます。
企業にとって緊急性の高い目先の仕事も大切ですが、将来重要となる仕事を優先的にやらなくてはなりません。
今後は価格競争にさらされないためにも、産業財産権を活用した事業展開を当社でも強化していきたいと考えています。

人脈に感謝し、社会へ恩返し
会社を立ち上げて今まで、当社はたくさんの人脈によって支えられてきました。その恩返しをしたいという思いから地域活動を行っています。
例えば、市内小学生に対してモノづくりの素晴らしさを伝える出前授業を行っていますが、子供たちのキラキラした目を見ると、こちらもわくわくしてきます。授業終了後に書いてもらう感想文には、子供たちがモノづくりにふれた楽しさや発見等が記されていて、子供たちの磁石に対する反応を感じとることができ、こちらも勉強になる部分が多々あります。その他には、地域の異業種活動を行ったり、モノづくりと観光を合わせた組織を立ち上げていくなど、この地域の活性化に向けて微力ながら力添えが出来ればと考えています。

有限会社創信工業

インタビュー:松本社長
日々創意工夫、自利利他の精神、革新と挑戦を理念として、
顧客の要求を満たす提案型の製品づくりを行う。

お客様の要望には迅速かつ継続して対応し続ける
当社は、父が1991年に八尾市でプラスチック製品の成型・加工業を創業し、エアコンの配管化粧カバーのジョイント部を射出成形する業務を請け負うようになり、すぐに工場が手狭となったこともあって、ここ東大阪市へ移ってきました。
配管化粧カバーのジョイント部は、安くて耐光性が強いことからメーカー指定で硬質塩ビ(H-PVC)が使われていますが、硬質塩ビは性質上、加工時に金型を腐食させることや専用の特別な設備を用意する必要があるため、扱える企業が極端に少なくなります。そんな中、当社ではいち早く電動射出成型機で硬質塩ビ品を製造することに取り組み、毎日ダクトメーカーから入る注文を翌日には納品する流れで、迅速な対応を心掛け、創業から今でも業務の7割を占める主力業務となっています。

初じめての自社ブランド製品づくり
今から3年ほど前、東大阪商工会議所が主催するアイデアマーケットに参加したことがきっかけで、主婦が出したアイデアをもとに、ペンに取り付ける紙めくり補助具『ペンデメクルン』を初めての自社ブランド製品として開発しました。
具体的な製品化に向けては、多くの方から様々な意見を頂き試行錯誤を繰り返しました。主婦のアイデア段階では、ペン先につける形は1種類のみでしたが、使用する方が持っているペンの種類は様々。その他に5種類の異なる形状を考え、どんなペンでも対応でき、様々なシーンで多くの方に使っていただけるように6種類の形状に8色(赤、青、緑、黄、桃、橙、黒、透明)のカラーバリエーションを用意することにしました。
初めての自社製品だったこともあり、どのように販売していくかということも大きな課題でしたが、ある公的支援機関が主催していた製品の意見を収集するモニター会に参加した際、偶然にもTVで取り上げていただき、オンエアを見た方が小売店に問い合わせ、小売店から「扱いたい」という話を頂くことができました。その後もメディアに継続的に取り上げていただき、
ひとつ販路ができたのを機に、とんとん拍子で現在は東急ハンズ、ロフト、イオン、ネット販売のアマゾンで購入することができるまでに販路を拡大することができました。
商品が世の中に広まると、想定していた使い方以外にも消費者によって様々な使い方が新たに生まれ、「ペンに付ける以外に、菜箸に取り付けると料理をしながら汚さずに料理本をめくることができるので便利!」といった思いがけないご意見も頂くようになりました。また、一般販売以外にも企業のノベルティグッズとしても採用される機会も増え、金型を低コストで製作するような機構を考えながら要望に合った形状のペンデメクルンをつくりお客様のPRにもご活用頂いています。
現在は、ペンデメクルンをアクセサリー感覚で、もっと多くの方に使っていただけるように、ご当地もののゆるキャラや人気キャラクターの形をした製品の開発も進めています。

積極的な行動がビジネスチャンスをつかむ
私は、プラスチック協会や地域の工業団地振興組合などの団体等に所属したり、商工会議所が立ち上げた複数のビジネス研究会に参画するなど、企業や多くの人が集まる場所に積極的に参加することでビジネスのヒントをもらっています。
初めての自社製品でも多くの貴重なご意見をいただくとともに、メディアに取り上げていただき販路を拡大できたのは、こういった積極的な行動が功を奏してのことかと思っています。
また、当社では新しい取り組みに挑戦していくために、ペンデメクルンで採用したエラストマーを始め、バイオマスプラスチックや色々な素材での製品づくりもテスト的に行い、試作を作っては様々な展示会に出展し、積極的な提案を行っており、そこでも新たなお客様とのつながりが出てきています。
自ら外に出て行って情報を収集したり提案を行っている場には、逆に「こんなこと出来ませんか」と相手からニーズが舞い込んでくることも珍しくありません。そのようなニーズに対して、ひとつずつ形にしていくことで、業務の幅にも広がりがでてきています。中には、必ずしも売上という成果に繋がらないものもあります。しかし、お客様の意見に耳を傾け、できるだけ要望に応えられるよう努力することで、難易度の高い業務が実現でき、少しずつ自社のレベルアップに繋がっているということを日々感じています。

環境配慮のモノづくりを目指して
モノづくり企業として、環境に配慮したモノづくりにも積極的に取り組んでいます。
とうもろこし由来のバイオマスプラスチックで、学校の本棚の仕切り板を作ったり、石油を原料とするプラスチックの使用量をできるだけ削減する製品づくりを目指し、これまでプラスチックで生産されていた製品であるお箸の代替品として、主原料に廃材となった木粉を50%以上使用し、つなぎとして環境負荷の小さなプラスチックであるポリプロピレン(PP)を使用した新たな「ECOリサイクル箸」の製造などに取り組んでいます。
「ECOリサイクル箸」の原料に使用する材料は木材の他に、代替えとして落花生の殻や、琵琶湖の葦、神社やお寺のお堂の改築などで出た廃材など、その土地ならではの産物で作ることもできます。その地域ならではの産品や有名建築物などの廃材を利用した製品づくりで、ご当地感を出しながら、地域貢献や社会的課題の解決につながるモノづくりをこれからも邁進していきたいと思います。

株式会社五力工業

インタビュー:鎌田 代表
ヘアピンの世界的ブランドとして美容業界で高い信頼を寄せられている(株)五力工業の鎌田代表からお話を伺いしました。

企業の歴史とヘアピン製造のきっかけ
当社の創業は1871年にまで遡ります。創業当時は、養蚕業をはじめとする繊維関係の仕事をしていました。その後、日本が戦争に突入し軍隊の仕事の取次が増える中で、伸線業の分野に業種を広げ、さらにその技術を応用して工業用のミシン針の製造を行うなど、時代の流れに沿って様々な仕事を行いました。
ヘアピンの製造に取り組んだのは戦後間もなくでした。戦時中に『割ピン』という釘のような部品を製造する機械を購入していた私は、戦後、ヘアピンという割ピンと形が非常によく似たものが欧米にあることを知り、「これだけよく似ているのなら、保有する機械を改良すればうちでも製造できるのでは」と考えました。これがヘアピン製造のきっかけです。

使用者の目線に立って品質改良
日本初のヘアピンの自動製造機の開発は、私自身が金属加工装置の製造に関わる仕事をしていた経験などを活かし、またたくさんの方々の協力もあって、比較的スムーズに行うことができました。
国内外の厚生省及び局が規定する、理容・美容師法はもちろんのこと、国民生活安全センター等の指導基準に適用する事を前提として製造装置を設計し、発明特許を取得してます。その全自動装置から製造される製品は、表面焼付塗装で錆びにくく、磨き発色製品と比較して、数十倍の防錆力があります。また、切り口も玉付き加工を施して髪にさしやすく指先や頭皮を痛めにくい薄型形状にしているなど、安全面・衛生面 に配慮して経済性が高い製品という特徴を有しています。そのことが認められ、業界内で唯一中小企業庁長官より「優秀商品証書」を授与された製品となっています。

海外への進出と、新しい世代との交流
海外へ向けては、北米・欧州、中東諸国を始め、海外20ヵ国以上におよぶパートナーとの友好関係をもとにグローバル展開を行っています。また製品の輸出だけでなく、世界の最新情報や技術を素早く製品へ取り入れています。製品が世界中で販売されるようになってからは、人種や気候・風土によって国ごとに主流のヘアスタイルも異なるため、各国で使用されているヘアピンを収集・研究するなどして、それぞれの国に最適なヘアピンづくりに取り組みました。形状や材質からパッケージデザインまで、手を加える部分はたくさんありました。また国内では若手の美容師と交流する機会を持ち、常に最新のヘアスタイルの把握と、それに対応できるヘアピンの開発を行っています。近年では男性の美容師も増えてきたので、昔よりもだいぶ話がしやすくなりました。さらにヘアピンを入れる容器にも目を向け、サロンワークが考慮された取り出しやすいケースの開発も行いました。このことも、実際に現場で働いている人の意見を聞かなければ生まれなかった発想だったと思います。

終わりのない「使いやすさへの追求」
当社の製品は使い捨てのヘアピンに比べれば価格も高く、また製品が長持ちするため商品の回転率は低くなっており、売り上げを目的とする「商品」としては、決して優れているとは言えないかもしれません。しかし、それでも長年にわたり当社の製品を購入し、愛用してくださるお客様がいて、今日では美容業界で高い評価をいただけるまでに至りました。私たちの理念や取り組みが間違いではなかったことが証明されたように感じ、とても誇らしく思います。
使いやすい機能への追求に終わりはありません。そしてだからこそ取り組む価値があると私は考えています。これからも創業当初と変わらないその思いで、事業に取り組んでいきたいです。

有限会社廣田工具製作所

インタビュー:廣田社長
子どもたちに伝えていきたい
「モノづくりのかっこよさ」

創業時から続く手作業での製造
当社は戦前、斜刃(ななめば)ニッパーの製造から事業をスタートさせました。当時、戦時需要からこの辺りは生駒山の傾斜による水力発電を利用した金属加工業が多くあり、当社もその中の1つでした。
戦後はニーズの多様化に合わせてペンチ・ニッパーなどに製造品種を広げていきました。
当社の工具は、用途に合わせて様々なタイプを揃えており、そしてそのほとんどを手作業で加工・研磨して製造しているのが特徴です。手作業で製造することで、機械製ではできない鋭い切れ味と優れた使用感を得ることができます。また、連結したコードを裂く際に使用する斜刃ニッパーなどは、非常に繊細な加工を必要とするため機械では製造することができません。工具業界も海外製の安価なものが主流となりましたが、熟練した作業員の方などは、やはり手作業でつくられた製品が良いと言ってくださり、今でも当社の製品をご使用いただいています。

ペット業界への進出
東大阪ブランド認定製品であるペット用爪切り「Zan」シリーズを製造するようになったきっかけは、ペットショップで売られているニッパータイプのペット用爪切りを手にした時、当社で製造しているニッパー(ケーブルカッター)と形こそ同じであるものの、切れ味や耐久性など、全体のクオリティはかなり低いと感じたことでした。形状が変わらないのであれば、鍛造製で鉄線にも使用できる当社のニッパーを使用した方がペットに負担をかけないのではと考え、試しに一度つくってみたところ、予想通り使用された方の反応は良好でした。こうして正式にペット用爪切りの業界へ参入するに至りました。
次に取り組んだのは「ギロチンタイプ」の製造です。円形の刃の中に爪を通して切るタイプの同製品は初心者でも扱いやすく、現在ではペット用爪切りの主流にもなっています。
元々はアメリカで開発された構造の爪切りでしたが、同製品の製造に取り組んだ際、やはり東大阪の人間の気質なのか、「既にあるモノをただ真似してつくるのは癪だ」と考えて、プロのトリマーの意見を取り入れたり、手の動きの研究を重ねるなどして、2点の改良を加えました。
1つは、使用する際に指をかける部分をすっきりと持ちやすい形状に変えて作業性を向上させたこと。もう1つは、2枚の刃の密着性と安定性を高め、それまでは2枚の刃が「点」で交わるイメージであったのに対し、「面」で交わるようにして、切れ味を飛躍的に向上させたことです。これらの新規性が認められて特許の認定もいただけました。
販売開始後はプロのペットトリマーを中心に多くの方に好評いただき、現在では国内のみならず、アジア各国のプロトリマー養成学校などでも御愛用いただいております。

さらに最近では、ニッパータイプでもギロチンタイプでも切れないような小さな爪を処理できる爪切りが欲しいというユーザーの声に応え、ピコックタイプという、爪に対して横から差し込んで使用できるものを開発しました。こちらは完全なオリジナル製品であり、実験的に販売を行ったような形でしたが、予想以上に反響があり、また細かいユーザーの依頼に対応したという部分が当社の評価を上げることにもつながりました。

モノづくりのまちのヒーローに
創始者である祖父から引き継がれて私で3代目になりますが、実のところ元々私は家業を継ぐ気はありませんでした。
社会に出て、塾の講師の職に就いた私は、10年ほど経つ頃には塾の講師に指導を行う立場になっていました。教育に携わる仕事に就くことは昔からの夢でしたので、仕事内容には満足していましたし、やりがいも感じていました。
しかしそんなある日、ふと、多くの塾の生徒や自分より若い塾講師達が、目標や希望といったものを持てていないことに気づきました。そしてそれは、少なからず自分自身にも当てはまることでした。それから私は、教育に限らず、今の世の中には目標となるような人、つまり「ヒーロー」の存在が必要であると強く思うようになりました。
そのような中、自分の育ったまち東大阪に目を向けてみると、不況や海外製の製品の台頭により多くの企業が倒産し、残った企業も塾の生徒や講師、自分自身と同じように、目標を持たずに漫然と業務をこなしている、という状況に陥っていました。
私は、東大阪が築きあげてきたモノづくりの歴史や、今も受け継がれている高い技術力がこのままなくなってしまうことが、残念という言葉だけではとても足りない、取り返しのつかないことのように感じました。そしてその時に、それならば自分が、育ったまち東大阪を立て直すヒーローになればよいではないかと、ごく自然に思い至ったのです。

人の心に火をつける最初の灯火でいられるように
こうした経緯から家業を継ぐことを決意しましたので、事業を進める上でも、ただ昔からつくっているモノをつくるのでなく、使った人が心から喜んでくれるような製品をつくり出していくこと、そして、私が仕事をする姿を見た子供たちが、「自分もこんな風になりたい」と目標にしてくれるような存在でいることを常に意識し、使命感を持って取り組んでいます。
もちろん私一人の力で今の東大阪のモノづくりの状況を打開できるとは思っていません。しかし自分の姿を見て、誰かの心に火を付けることができれば、それが広がって大きな力に変わるかもしれません。その最初の灯火でいられるよう、これからもこの東大阪で精いっぱいモノづくりを続けていきたいと思っています。

兵田計器工業株式会社

インタビュー:兵田 善男 社長 / 兵田 陽彦 専務
創業90年。築き上げた信頼と革新的な製品開発で、
人々の安全を見守り続ける。
企業の遍歴
当社の歴史は大正6年まで遡ります。創業時は大阪市内に事業所を置き、当時から温度計や圧力計の製作と修理を行っていました。
昭和22年、戦災の影響で工場を現在の東大阪に移転しました。その後は大手企業のニーズに対応し、また時には技術指導を賜りながら、変圧機、温度製造品種など徐々に製造品種を広げていきました。

事業を進める中では、次の2点に重点を置いています。1つは自社が得意な分野とマーケットニーズの合致している部分に絞って効率的に製品の開発・製造を行うこと。そしてもう1つは、自社が得意な分野においては、たとえ他社が敬遠するような小ロットや複雑な仕様の依頼でも丁寧に対応することです。
このような明確なスタンスを持つことが他社との差別化につながり、業界内で信頼を築いていく要因となりました。
現在では、重電・電子力・船舶・石油化学プラントなどの重工業部門や、繊維・染色・食品の軽工業関係、さらにオーブン・調理器等の家庭用器具に至るまで、あらゆる分野で当社の各種計測器が使用されています。また取り引き先も国内に留まらず、海外でも当社の製品が使用されており、好評をいただいています。
自社の強みと理念
当社の製品の強みとして一番に挙げられるのは「耐久性」です。
計測器は、場所や状況に関係なく常に正確な結果を表示し続けることが必要とされます。特に新幹線や船舶等に使用されている当社の製品は、誤作動がそのまま重大な事故にもつながります。ですので、たとえ風雨にさらされようと雷に打たれようと変わらない働きをするように、当社の技術の粋を集めて耐久性を高めています。

また、製造業では「品質」「価格」「納期」の3点が重要な要素だと言えますが、この3点は、いずれか1点ハイブリッド式温度計の開発
ブランド認定製品の「ハイブリッド式温度発信器」も、このような考え方によって導き出された製品と言えます。もともと当社では機械的に温度を測定するダイヤル式の温度発信器のみを製造していました。同製品は電源や電気が不要というメリットはありますが、計測結果をデータとして発信・管理するには他社製の機械を必要としていました。
他社製の機械は、当然ですが価格や納期の融通がほとんど利きません。結果、納入する際の製品全体の価格も上がり、納期も他社に合わせる形で長めに設定せざるをえませんでした。常々それを非効率的に感じていた

を優先させれば残りが成立しない関係になっており、バランスよく改善・向上させることが難しいものです。しかし顧客にとってはいずれも重要な要素ですので、当社ではそれら3点全ての要素で顧客に納得してもらえるよう、これをある種の戦いと捉え、製品の開発・改良に取り組んでいます。

ルート工業株式会社

インタビュー:中村 社長
コンテナ台車と向き合い続けて40年。
磨き上げたクオリティで
今日も社会の物流を支える

時代のニーズを読み取った製品づくりを進められているルート工業(株)の中村社長にお話を伺いました。
企業の歴史とルートボーイ開発のきっかけ
当社は日本で唯一、コンテナ台車の製造を専門とする企業です。
創業は今から約50年前の昭和37年です。創業当初はキャスターを中心とする部品の製造を行っていました。そして昭和59年、業界初の伸縮式コンテナ台車「ルートボーイ」シリーズの開発・販売開始に伴い、同製品の製造を主要業務に切り換えました。
ルートボーイの開発は、先代社長が製造現場で働く中で経験したことが元になっています。
大小様々なコンテナが使用される製造現場において、それら全てのサイズに応じた台車を用意するには大変大きなコストを要していました。また、一度使用した台車がそれ以降使われずに倉庫の中で放置されている、ということも少なくありませんでした。しかし、かといってコンテナとサイズ違いの台車を使用すれば事故の原因にもなります。
そうした非効率的な状況を解決するため、当社ではコンテナのサイズに応じて台車のサイズを伸縮させることを考案し、製品の開発に乗り出しました。
迷いなく進んだ製品開発
これまでに世の中になかったものをつくりだすということで、原型となる製品や参考資料等はありませんでしたが、先代社長の頭の中にはすでに明確な設計図が出来上がっており、開発は比較的スムーズに進みました。また製品の外観のデザインも、専門家等に頼ることなく自ら行いました。
自社製品を持っていない当社が一から製品を開発するということ自体、一般的に考えればとてもリスクの高いものだったと思います。しかし、当製品が製造現場で働く人にとって大きなメリットをもたらすことを確信していましたので、開発にあたって迷いは一切ありませんでした。
またコンテナ台車において最も重要な部品は、コンテナの総重量を支え、なおかつ滑らかに回転することが求められる「キャスター」ですが、当社では同部品の製造を得意としていました。製品の核となる部品に信頼できる自社製品を使用できたことも、ルートボーイの開発を加速させました。
こうして、伸縮機能という全く新しい機能を備えながら、従来製品にも劣らない強度と耐荷重力を有するコンテナ台車「ルートボーイ」は誕生を迎えました。
唯一無二のクオリティを目指して
ルートボーイの特徴である伸縮機能については、既に特許は失効しており、近年ではコピー製品も出回るようになってきました。しかし当社は、ただ伸縮機能が付いていることだけを売りにしているわけではなく、台車専門メーカーとして台車全体のクオリティで唯一無二のものを目指し、製品の製造を行っています。ですので、そういった形だけを模倣したコピー製品は全く問題にしていません。
また、これまでユーザーニーズに応えるかたちで増やしてきたラインナップが、今では当社の強みになってくれています。もちろん今でも、製品の販売は全て代理店を通して行うようになりましたが、ユーザーの方々の声を積極的に取り入れることは常に意識するようにしています。
コンテナ台車という製品は、市場は決して大きくないかもしれません。しかし、世の中の物流を支える製品として多くの方々に必要とされています。私は、そんな製品を製造していることを誇りに思っています。
今後もコンテナ台車と向き合い、とどまることなく製品の改良・開発を進め、より社会に貢献するモノづくり企業を目指して進んで行きたいと思います。

株式会社カツロン

インタビュー:石川 社長
困難な依頼、未開拓の分野
挑戦こそが企業力を高める
スタートはチョコレートの製造
当社が事業を開始したのは昭和24年の6月です。最初は「日之出食品㈱」という社名でチョコレートの製造を行っていました。当時はまだチョコレートが珍しかったため売上は良好で、販売店を建てるまでに人気を集めました。しかし10年ほど経つと徐々に安価で普及し始め、売上は落ち込んでいきました。そんな中、使わなくなったチョコレート押出機を使ってなにかつくってみよう、と考えました。これがプラスチック成形を行うようになったきっかけです。
まず初めに取り組んだのがビニールホースの成形でした。製造していたチョコレートの形状がタバコのような円柱のものであり、その機械をほとんどそのまま使用できたためです。もちろん当時すでにホースは製造されていましたが、当社はより質の高い素材を用いて製造し、高級ホースとして売り出すことで他社製品との差別化を行いました。なおこのホースは現在も製造しており、多くの企業様に愛用いただいています。
未開拓の分野をチャンスと捉えて
その後は依頼に対応する形で、製造品種を広げていきました。なかでも特に積極的に取り組んだのが、「柔らかい素材」の成形です。というのも、硬い素材は一度成形すれば形が崩れにくいので比較的加工が簡単とされていましたが、柔らかい素材は変化しやすいため成形にあたって常に注意が必要であることから、あまり他の企業が手を付けていない分野でした。当社はここをチャンスと捉え、あえて「柔らかい素材、なんでも対応します!」という内容のポリシーを掲げて発注を募りました。
ポリシーを掲げることでより多くの依頼をいただける

川端ネジ製作所

インタビュー:川端 社長
当社の一番の財産、それは「人とのつながり」です
アートネジ誕生
ネジといえばできるだけ目立たないように隠してしまうもの。これは多くの人持っている共通のイメージだと思います。しかし、ネジ製造業の一家に生まれた私にとって、ネジはただの部品ではなく、強い思い入れのある存在でした。「何かネジのイメージを変えるもの、ネジの可能性を広げられるものをつくれないか」そんな思いから、アートネジ開発に取り組みました。

デザインに関する専門的な知識などはありませんでしたが、異業種交流会が開くデザインの勉強会などに参加し、独自にデザインの考案を進めました。朝から夕方までは本来業務であ

大和化成商事株式会社

インタビュー:別所 社長
モノづくりのまちで
モノづくりができる喜び
大和化成商事株式会社
当社は今から約20年前に商社として事業をスタートし、その後すぐに現在のフィルム製造業を主要業としました。創業当時は先代社長である父と母の二人だけで事業を行っていました。
現在の東大阪の事務所を設置したのは今から約15年前です。その後淡路島に工場を設立して、製造の拠点をそちらに移しました。現在の主な業務はマスキングフィルムの製造ですが、その他にも東大阪ブランド認定製品である「ノンセパ」や「ブロードタック」のような自社製品の開発・販売も積極的に進めています。
ノンセパとブロードタックの開発
ノンセパについては、約20年前、創業とほぼ同時に販売を開始しました。同製品は離型紙(台紙)を省いたラミネートフィルムであり、工場内から出るごみを削減できることと、体積が減少するため輸送コストを削減できることが特徴に挙げられます。先代の社長の頭の中に元々あったアイデアを製品化したもので、開発当初から非常に大きな反響がありました。様々な業界で活用され、中でもタイヤ用ラベルの業界ではシェアを独占する状態が続きました。近年では海外からの類似製品が出回るようになりましたが、食品用ラベルなど、新たな業界からの需要も増えています。

株式会社美販

インタビュー:尾寅 社長
お客様の想い描くイメージを
スピーディーにカタチにする
設立36年の歴史
先代(父親)は商業包装用紙全般を取り扱う大手パッケージメーカーで働いました。そこで得たノウハウを活かし自分で事業をしようと独立したのが、そもそものはじまりだと聞いています。
モノづくりが好きだった父は、前職で身に付けた設計技術を武器に、他の箱屋が嫌がるような複雑な形状の箱などを設計し、細かい要望にも応える『多品種小ロット』の仕事をその頃からしていました。当時、製造は発注し、自社では企画設計・販売のみを行っていましたが、時代は高度成長期、発注先では他社から大量にダンボール箱の製造依頼がくる中、細かい作業を依頼する当社は迷惑がられてしまい、ついには「自社でやってくれ」と製造を断られてしまいました。それを機に自社で機械を持つようになり、倉庫として使用していた場所は徐々に工場となり、ブローカーからメーカーへと転身していきました。

受け継がれた箱屋ならではのクセ
お菓子の箱など変わった形状の箱を見ると必ず分解してしまうんです。父がやっていたように私も幼いころから箱を見れば分解していました。まさに職業病ですね。
今では職場にもそのクセは浸透し、変わった箱を見つけると買ってきては、従業員とみんなで分解しながら設計のノウハウを学んでいます。
最近では、複雑な依頼をカタチにする仕事が乗じて、ダンボールでつくった梱包材の依頼やオフセット屋が今までやっていたような店舗で直接おけるPOPと陳列什器が一緒になったようなものをつくる仕事も増えてきています。複雑な形状を設計できる技術があっても手間が非常にかかりますので他社ではやり
働きやすい、売りやすい環境づくり
たくさんある仕事の中からここで働きたいと来てくれた社員たちに本当に感謝しています。
当たり前のことかもしれませんが、社員のために大切にしていることとして、コミュニケーションをとること。必ず笑顔でニコっとあいさつすることを私からするようにしています。また、全社員に成功体験をさせるようにしています。展示会や企画など、社員に一旦すべてを任せます。報告や相談はもちろん必要ですが、自分で何かをやり遂げることをすることで成功しても失敗しても人は成長します。そういう経験を社員全員にさせたいと思っています。
それは産学連携に参加してくれた学生さんにも同じことが言えます。将来デザイナーを目指している芸大の学生さんには、当社と関わることで「モノづくりって楽しいな」と思ってもらえるような経験をさせたい。
現場に触れて、出来上がる工程を理解したうえでデザインする苦労、自分のデザインしたものが出来上がる喜びや、それを受け入れてもらえた時の喜びを感じてもらいたい。そして将来、仕事に就いた時やふとした時に思い出してくれたら、とても嬉しいですね。
学生さんたちのおかげで社員もよりモノづくりの楽しさを実感してくれている。学生たちが考える奇抜なアイデアやデザインをカタチにするためにがんばることは苦労も多いはずですが、それを楽しんでやってくれています。「なんとしてもカタチにする」という社風が社員全員に根付いてくれているということなんでしょうね。
 
ホームページを強化することと合わせて営業のやり方やツールも見直し、改善しています。名刺は、先日新しく2つ折りタイプにしました。2つ折りを開いた部分には当社で製造しているさまざまな製品の写真を載せています。営業マンが名刺を渡した瞬間から当社の説明ができるように、また、説明しなくても何をしている会社なのかわかってもらえる名刺をつくりました。
営業スタイルも『説明型営業』から『質問型営業』へシフトチェンジしていきます。
説明はカタログでもできますし、説明から入る営業は相手を構えさせてしまったり、嫌がられて話も聞かずに断られてしまうことが多い。
それを、お客様が本当に困っていることや必要としていることをお聞きすることから始める質問型にすることで、相手が何を求めているのか理解した上で的確な説明や提案ができるようになります。歩み寄れたお客さまからは、必要としていることも引き出しやすいです。お客様が必要としていることを見つけ出して発信してみて、お客様の反応が良ければ、それがお客様の“いるモノ”だと確信にかわります。今後、この営業スタイルを社員全員が気持ちよくできるように、経営者として考えていきたいと思っています。

たがらず、オフセット屋では1000単位のロットからしか発注できないところがほとんどなので、小さなロットからでも仕事を受ける当社のスタイルは、必要な数だけ必要とする今の時代にマッチしているようです。それに伴い、分解グセもさらにエスカレートし、梱包材やディスプレイなどの構造も気になるようになってきてしまいましたよ。

当社の転機
昨年、あることがきっかけで東大阪ブランドの大阪芸術大学との産学連携事業を知り、参加したことが、我が社が変わる1つのきっかけとなりました。初め、我々みたいな小さな会社が参加していいのかと迷いましたが、企業規模は関係なく様々な企業が参加しているというお話を聞き、参加することに決めました。枠にとらわれない学生たちの考えるデザインは、とても多彩で面白く、自由な発想に富んでいて、今まで見たこともつくったこともないデザインを出してきてくれました。それをカタチにすることは非常に困難でしたが、逆にそれが「イメージをなんとしてもカタチにする!」と社員の魂に火を着け、社員の士気も高まっていきました。

そしてなにより、今まで自身で所有することがなかった最終製品を”初めて”持つことができました。
我が社のような零細企業は、営業にかけるマンパワーもあまりないため新規開拓はせず、今までは新規取引先といえば取引先からの紹介のみでやってきました。創業時から一貫して、細かい要望にも応える多品種小ロットの仕事を得意としてきましたが、具体的にそういった取り組みを伝える表現方法はありませんでした。
それが、最終製品ができたことで「なんでもできます」という漠然とした表現ではなく、「こんな複雑なモノまでできますよ」と具体的な事例として実物を目の前に、自分たちができることをPRする営業ができるようになりました。
我が社をアピールする最終製品ができたことで、展示会にも初めて参加できました。複雑な展開図と洗練されたデザインの製品は展示会でも多くの関心を集め、なんと4日間で600人の方と名刺交換することができたんですよ。自社では予想もつかなかったような異業種から「一緒に新しいことをしませんか」と声がかかったり、展示会をきっかけに何件も新しい取引が生まれました。また、この出展をきっかけに社員の新規開拓への恐怖心や嫌な気持ちも無くなっていきました。
これからもお客様の想い描くイメージをカタチにするお手伝いを
これからも、当社をアピールする最終製品はつくり続けていきたいと思っています。しかし、なんでもいいわけじゃない。動物やキャラクターを段ボールで作っても当社では意味が無いんです。出来上がったモノから「美販に頼んだら自分たちのやりたいことを叶えてくれるんじゃないか」と期待されるツールでなければならないと思っています。そして我々は、これからも段ボールケース及び美粧ケースを中心に企画・製造・販売を行うパッケージのトータルプランナーとしてお客様の想い描くイメージをスピーディーにカタチにするお手伝いをしていきたいです。

株式会社イーストン

インタビュー:東田 代表
一切妥協を許さないモノづくりが
世界基準をクリアする。
東大阪でモノづくりをつづけて40年
私は昔からモノづくりが好きで、大学は近畿大学の理工学部に進学し、よく学生の頃からオーディオ機材などをつくって遊んでいました。卒業後もオーディオ関連の仕事に就き、今までのオーディオづくりのノウハウを活かして、我が社のショールームやテストに使用しているスピーカーなどの機材も、すべて自分たちの手でつくっています。
ここ東大阪市ではもう40年以上働いています。約35年前、スクリーンの開発に取り掛かかるようになり、2004年に株式会社イーストンを設立しました。社名は、私の名前「東田」の頭文字をとって(EAST)とNo1(ONE)の企業に成長するように願いを込めて『EASTONE』と名付けました。
スクリーンづくりへの想い
現在、スクリーンを製造する大手メーカーは世界にいくつかありますが、そこでつくられているスクリーンの幕面にはどこも未だに塩ビ素材が使われています。私は、同じスクリーンを製造する企業として、これからの時代を見据えたとき、スクリーンも環境に配慮した非塩ビ素材で製品をつくっていかなければいけないのではと考えました。そこから長年にわたる開発が始まり、遂にリサイクル原料を利用した非塩化ビニールの繊維素材を開発し、幕面に使用した自社オリジナルのスクリーンが完成しました。その功績は、財団法人日本環境協会にも認められ、スクリーン業界では唯一のエコマーク認定を取得しました。今ではいくつかの学校向け教材カタログや雑誌にも『環境配慮型スクリーン』として紹介されるようになり、環境配慮について考える時代が製品に追いついてきたことを実感しています。
自社製品に対する誇り
環境に配慮した製品づくりと両立してこだわりつづけた音と映像美は、スクリーン業界で日本初の「THX認定」というシアターにおける世界的な評価も受けました。
「THX認定」とは、ルーカスフィルム社が提唱した、シアターに関する世界的な品質基準で、スクリーンの認定テストでは、忠実な映像再現性と優れた音響透過性能が求められる厳しいテストをクリアし、映画制作者の意図した映像や音声を忠実に再現することができる製品に対してのみ認定される、いわばシアターに関する世界的基準といえる認定プログラムです。我が社のような中小企業がTHXに認められるようになるまでには、非常に長い年月と苦労がありました。
他部門でTHX認定を受けている日本の企業は大手ばかりでしたし、従業員が5名のこんな少人数でがんばっている小さな企業は、最初まったく相手にしてもらえませんでした。
場所が海外ということもあり、言葉がうまく伝わらないこともありました。しかし、一切の妥協を許さず研究を進め、あらゆる特許を取得し他ではマネすることができない我が社オリジナルのスクリーンは、絶対に認めてもらえる自信がありました。
そして10年以上の本当に長い年月をかけて何度も何度もやり取りや製品の微調整を繰り返し、やっとTHXに製品を認めてもらうことができました。今では他の大手企業を抑え、スクリーンの音響透過性では第1位の評価を受けるまでになっています。おそらくTHX認定をうけているシアター関連企業の中で我が社はもっとも小さな企業ではないでしょうか。
モノづくり企業としての誇り
ハリウッドの映画が誕生したときからスクリーンの歴史は、はじまりました。
大きなスクリーンで素晴らしい音楽と映像を楽しむことは、いつの時代も人々を感動させます。私も音楽と映画が大好きで、今までたくさんの映画を観てきました。語り出すといくらでも時間が足りないくらいですが、中には、心にジーンときて観終わった後も、感動でしばらく立ち上がることができないような映画があります。私たちのモノづくりも、人の心を動かすような感動を与え、世の中を変えるくらいのモノづくりを目指さなければいけないと思います。すでにあるモノをつくるのではなく、自分のところでしかつくれないモノづくりをすることが、時代がどんなに流れても生き続け日本が誇るモノづくりにつながっていくのではないでしょうか。

ページトップへ戻る